やむにやまれず書いていたわけだ。その「やむにやまれず」が今からみればただの子供っぽい虚栄心だったとしても。30過ぎてからがもっと悲惨だよな。今からみれば。
何かに満足したんだな。自信はついてきた。自信がなくてもなんとかできる、なんとかする、と腹が据わるようになってきた。だからモチベーションがなくなった。すがる必要がなくなったわけだ。プライドの拠り所にする必要が。
それがあからさまになりつつある。いやね、それでもね、もうちょっと本気でそうありたいと考えていると思ってたのよ。才能だってあるだろうって。それがさ。けっこう、つまらない仕事に思えてしまうのよ。何も生み出さない、とかさ。いや本当のプロ、一流どころはもちろん、何かを改革して、人々を救っていると思うよ。職業に貴賤はなし。ただ俺がね、その仕事をしたとしてね、何かに役立つってイメージができなくて。価値が見出しにくくて。
ま、ね、昔から役に立たない人間だって、俺に才能があると少しは思えるところは、世の中の何の役にも立たないことって思ってたよ。ただ一つの嘘は理解した。俺は人の役に立つことができる。できるのにやってなかっただけ。それは才能とかのレベルの話じゃあない。単純に、無意識下で自分のことしか考えていなかったからだ。そのことに自己欺瞞で気づいていなかっただけで。
で人に役に立つように動くってことが分かってきて、少しはキビキビ動けるようになれてきたら、なんだかどうでもよくなってきたというか、かつてすがろうとしていた世界が矮小に見えてきちゃった、正直言って。
そうなってくると、自分にセンスがないことも認められるし。下手くそだなって思うし。推敲しないと全然だめ。時間をかけりゃましにはなるけど、そんなに時間がかかるようじゃ使えねえって話もあるだろうし。
決定的なのは、書くネタはしぼりだせても、書く意欲がないんだよな。平たい話が、睡眠時間を削って、子供の相手をせずにそこまでする価値があるかってことだ。
やまなし、落ちなし、意味なし。
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