家族で出かけて帰ってきて、ああ俺は幸せに過ごしているな、やけに落ち着いているな、そういえば昔はこうじゃなかったな、と思い出した。
昔どんな不安を抱えていたのか、ニュアンスを伝えるのがむずかしい。平凡な毎日が幸せ、とかそんなんじゃない。たとえば、自分の子供を持つこと、妻を娶ること。生活していくこと。家族のみんなと遊びにいくこと。金を稼ぐこと。町内会に出ること。学生のときだったら、クラスのみんなと友だちになること。長く一緒にいて、うまくやっていくこと。普通に平凡に、まっとうに、自立して生きていくこと。なにもかもすべてが恐ろしく、恐怖そのものだった。つまり、人生は苦痛であり義務が常に迫り来るものであり、享楽は一時しのぎの気分をごまかす程度のもので、しかも俺にはそれを享受する資格はなく、うしろめたい思いが抜けなかった。
分析すれば、いろいろもっともな評価はできるかも知れないが、しかし渦中にいる気分は人には理解されないだろう。単なるわがまま、甘えとしか思われないだろう。実際、今の俺が、当時の俺のような人間をどこかで見かけたら、同じように切って捨てると思う。心中を察する前に。そうだな、
彼らも昔の俺のような心境でいるのだろうか。ならば、外に出られないということはあり得るとは思う。同情はする。
ただまあ、俺はいっぺんにいろんなことを考えてしまってつぶれていたんだが、一個いっこの案件ではまじめに考えられるときがあった。そういうときは、それなりに誠実に対処していたとは思う。少なくとも人のせいではなく、自分が悪いとは認識していたと思う。社会が悪い、とは思わなかったし、言わなかった。
俺が変わってきたのは、俺自身に変わりたいという思いの種があったことはたしかだが、やはり嫁の存在が大きい。とにかく単純に俺のことを認めてくれたから。その、情けなさ全開だったころの俺を。まったく魅力がなかったわけじゃないとは思うが、しかし嫁自身、最近俺は成長したと謂っており、昔はダメダメだったと認識している。ともかく、まずそのまま認められたことだ。今までの自分がどんなくだらないものであっても。
それから、開き直ったことだ。結婚してからもやはり恐ろしい世界の本質は残っており、会社生活に悩んで寝られない夜もあった。いつ離婚されてもおかしくないと感じており、それも恐ろしかった。あきれた嫁から「そんなに嫌ならやめてしまえばいい。転職すればいい。今より貧乏になっても自分も働く。就職できなければ、自分が稼ぐ。だから今の会社生活が人生のすべてと考えるな」と謂われた。そうして、嫁に手伝ってもらいながら、俺がほんとうにやりたいことは何か、夢といえることは何かについて考えて、とりあえず結論を出した。人生の目的を定めたのだ。
その夢は今でも残っているが、そこへ向かってまっしぐらにはぜんぜん走っていない。でも絶対に最後まで忘れず残しておくつもりだ。現実的に向かっている先は、またよく分からないまま進んでいる。目の前のタスクで手応えを感じているものを、やりたいと感じられるものを進めているだけだ。自転車はここ最近、ぐんぐん進めているもののひとつだ。俺はほんとうに強くなってクライマーになるつもりだ。これは趣味だが人生全般からみると、健康問題ひとつとっても重要だと考えている。仕事がいくらできて金を稼いだって、不健康で老人になると苦労する。
…中途半端だが、めんどくさくなったのでこれで止める。いつか追記修正するかも知れない。
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