2010年12月21日火曜日

ああ、そうか

俺、落ち込んでるな。落ち込んでるみたいだ、どうやら。

めんどくさいので詳細略で書くけど、自意識過剰・自信喪失・神経過敏反応過大すべて要するに落ち込んでるってことだ。とりあえず落ち着けやってことだ。

ここで微妙に話題が変わる。

最近ようよう脳みその使い方を覚えてきたと思ってるんだが、すなわち略式に言えば、前頭葉を使うということなんであるが、おサルのアイちゃんも南京錠を開けられるようになるように、俺も牛歩で人生をサヴァイヴしているわけだ、戦術としては意図せず。それは一応進歩と言えると信じていたんだが、ここへきて幽かに疑念を持つに小林至る。

単刀直入に行って、6年前の俺の書いた日記がとてもおもしろくて動揺を隠せない。その6年前には、さらに10年前の自分の文章がとても面白く、本を読まなくなってから文章力が発想力が落ちた、と嘆いているのだ。この事実は端的に、読書量低下などに伴う俺の文章力の劇的な低下というだけのことだが、しかし曾て俺は、このなんら世の中に貢献しない、俺自身のサヴァイヴにすら貢献しない能力群、基本的に自分が多少は平均よりも上回るであろう能力はすべて人の役に立たないものであるという冷静かつ哀しい結論を下しており、そうであってみればそれら能力の低下がなんの問題となりえようかという話になるわけだ。

にも関わらず、その幽かな疑念を抱く理由とは、つまり、具体的で実用的で、役に立つことばかりが世界のすべてじゃないという転回がありつつあるということだ。たぶん一周回ってきている。ただの一周じゃないぞ、止揚している。はず。ま、ただの一周でもいいんじゃね、とも考える。永遠回帰を受け入れねば人生はルサンチマンに終わるということ。ほんとかよ。

話はいきなり現実に戻る。俺ももう不惑であるからして、冷静沈着にカッコつけたい気持ちもある。それはともかく、なにより奴の思いどおりにコントロールされてたまるか、ということである。黙って全力投球。いつのまにやら鉄槌が奴にふりかかるような状況になるのが理想である。冷静にいって俺にそこまでの実力はなく、ただ一生懸命やってどこまでできるか、どこまで成長できるか。成長、それこそが鍵。ここは今、言ってみれば練習場。そう、むしろ好都合。失敗しても、被害は最小限。リスク低く、思う存分できるぞな、もし。

ぜんぜん関係ないけど、ハンター早く連載再開しないかな。

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