もう寝るけど、ちょっとひねり出してみる。
* *
そうだね、さっき落合元中日監督を長嶋一茂がインタビューしてるのを途中から観て、おもしろかった。落合さんの言うことはいつも極まっとうで説得力があって、率直に尊敬する。かなり理想。そうありたい。直接の人間関係がないこともあって、心酔してもいい感じだ、変な表現だが。当たり前、てかなり重いけどな。涙を流しながら、仕事に手をつけていかざるを得ず。「それは逃げだろ、」そのとおり。もっともらしい言い訳が意識せずに張り付いている、そのことに気づく。自己肯定との整合はどうすべいかね。切り分けの問題か、それとも方法論の問題か。方法論ってのはつまり、「まずは肯定。冷静になったところで言い訳の認識。」いや認識しなくていいな、反省など不要、要るのはどう進めるかという対策だけなのだから。
* *
ところで、今日はようやく読みかけの本をほぼ読み終えた(まだ終わってない)。もう一冊、ちきりんさんの本が中途。参考になると思って買って、今でも参考になると思っているけど、やまもといちろうさんの書評を読んだおかげで少し冷静になれた。いま自分に余裕がないせいで距離感なく読んでしまうところだった。
俺は年々頭が良くなっていると思っていたけど、最近使っていないせいか、ぐんぐん悪くなっているようにも思う。まあ元々頭が悪いからこそ、良くなっている余地があるという話で、自転車と一緒で低空飛行での話。
俺も本来性能が出せれば、そこそこの基本性能、クロック数も誇っているとも思うんだが、現実表面化しているところでは大いにバカ。ヘタと言ってもいいか。昔言われていたように、コンピュータ、ソフトなければただの箱、に通じるところで、使い方、マネッジができなければ役には立たん。
もうちょっと掘ると、なんのために頭を効率よく使う必要が?となって、幸せになるため、という目的が明確になり、つまりは人並みかそれ以上で活動できれば優越感に浸れて自信ができて、ビクビクして生きずにすむからってことだ。分かりやすく言うと、「皆さんはどうだか知りませんが、私は高尚な目的意識は持ちあわせておりません、ただ気持チイイように過ごしたいだけ。」→これ自体の高慢さがいやだから分かりやすく書きたくないんだ。このひねり方は厨二的?そうじゃないと思っているけど数日したら恥ずかしくなるかね。
もっと現実的な理由としては、もちろん効率よく生活できるからだ。それによって家族全員が幸せになり、家族から感謝と尊敬を得て俺も満足感に浸れる。あ、結局最後は俺の満足で終わってしまった。そのつもりはなかったんだが。
…どうにも興が乗ってこないのでもう寝ます。駄文失礼。
0 件のコメント:
コメントを投稿